Sincerely for...

このお話は事実を元にしたフィクションです。 期待は小さく、思い出は大きく。

続きはたぶんまた今度書く。




 文字を書けば書くほどに、空白は埋まっていってしまう。どうやってなにもないこの場所を書き記せば良いのか、僕にはわからないのです。
 無いものを際立たせようと、周りを有るもので囲おうとも、無いことそれ自体を書こうとも、どんどん口うるさくなってしまう。
 完全に知っているものしか書けないということはない。そもそも完全に知っているものなどはない。けれど、僕は空白についてあまりにも知らない。空白と空白でないものの際について、あまりにも知らない。
 みんなが知っているものにこそ、多くの言葉は要らない。自分だけが知っているものは、自分だけの中にこっそりと仕舞いこんでおきたい。想像はつくがまったく知りえないもの、それこそが怖ろしい。怖ろしいものから逃れるように、僕は
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カテゴリ: おはなし  とちゅう 

下校前の小さな会話。


「シュレディンガーの猫というのを知っているか」
「さあ、知らんな」
「そうか」
「おい」
「なんだ」
「説明しろよ」
「ふむ。いいだろう」
 歩川はベニヤの生徒椅子に深く腰掛け直し、ふうと深呼吸をひとつ吐いてから鹿爪らしく話し始めた。
「シュレディンガーの猫というのはだな、箱の中の猫が死んでいるのか生きているのかわからんのだ」
「だろうな。そんなことは誰にもわからん」
「いや、そうじゃないんだ。むしろ箱の中の猫は死んでいても生きていても正しい」
「どういうことだ」
「死んでいるかもしれないし生きているかもしれない猫は、箱を開ければどちらかの状態に定まる。定まる前の猫はどちらの状態でもあるということだ」
「猫が鳴いたらどうする」
「そういうのを無粋と言うんだ」
 もっとも。
 そんな説明をされなくとも光が波であり粒であるというような話は雑学程度には知っている。その他にもシュレディンガーをシュレーディンガーといったほうがよりおしゃれであるということも。
 いまさらすぎる感は否めない。
「雑学程度と謙遜していようが、そこまで知っていて何故シュレディンガーの猫についてだけは知らないと言う」
「すまん、実は知っていた」
「どうしてそんなつまらない嘘をつく」
「知らないふりをすれば君は説明しなければならなくなる」
「それで」
「僕と君は会話を続けねばならなくなる」
「それで」
「それだけだ」
「なるほど」
 得心したような、あるいは寝起きのような顔をした歩川が数瞬黙る。
 ゆったりとした放課後の沈黙を静かに吸い込んで、吐き出す。秋の匂いはしない。
「では」と、歩川が沈黙を押しのけて問いかける。
「私が説明を拒んだらどうする」
「説明するまで縋りつく」
 では。
「箱の中の猫が泣かなかったら?」
「いやというほど箱を揺するな」
「そうか」
 僕と歩川は席を立つ。
 椅子の背が机の縁に当たるまでしっかりと押し込む。
 そうか。
「それは良いな」




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いだいなるりゆうがひつようだ。


あなたは「どうしてそんなことぐらいで死にたいなんて言うの」と、
言いますが、
「そんなことぐらいで」
と言われる毎に、
死にたくなる。
と、
言うと、
あなたは言うでしょうか。
「また、そんなことぐらいでさ」
大丈夫です。
たぶん僕は、そんなことぐらいでは死なないので。
言いたければどうぞ。
言ってください。

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思いついたが吉日


そろそろ寝ようということでトイレに行く。
行くと、ほとんど晩飯に食った時と代わり映えしないものだからつい在りし時の、皿に盛られていた姿を思い出す。
うっへきったねーの。などと思いながらさむいさむいトイレを後にする。
2月も終わるこの時期にも、まだ我が家のトイレはもはや外といっても差し支えないほどの寒さであり、さらに日も落ちきってしまっている今ぐらいだと凍りついてしまっていることもある。
なぜ、なぜ用を足す前に試しに流しておかなかったかと一瞬後悔もするが、まあそこは一人暮らしの強みとも言うべきか、少しくらいの間なら流さなくったってなんとかなるものなのだ。
汚いというのはわかる。不潔だという意見も大いに受け入れよう。この期に及んで水道代がどうだとか言うつまらぬ話をするつもりもない。だからというわけではないが、凍りついた水道管とその前で呆然とする僕の気持ちも汲んで欲しいのだ。
と、ひとしきり自分と見えない誰かに予防線を張ったうえで便器の横のノブに手をかける。
こういう時は勢いが大事だ。そっと静かにやってしまっては、ちょろちょろと水が便器の内側を流れるだけで、詰まっていない下水道を詰まらせてしまいかねない。
左様ならと(心の中で)一礼して別れを告げ、えいやっと水を流してしまう。どうやら水道管は無事だったらしい。
さてよかった。これでもう今晩はトイレに用事も無いのでさっさと出て行ってしまうことにする。
だいいち寒い。このトイレは寒すぎる。
白熱球の暖かく柔らかな明かり――によく似た色のLED電球を消してトイレの扉を閉め玄関の鍵がきちんと掛けられているのを確かめてから部屋に戻ると、白色の蛍光灯と敷きっぱなしの布団、片付けの行き届いていない部屋がさっきまでと同じ様にそこにあり、我が家ながら寂しい気持ちになる。
不意に、「他人の好きな本を貶すのは、他人の恋人を貶すのに似ている」という言葉を思いつく。
なるほど。人の好みはそれぞれだし、しかし誰もが認める美男美女というのもいる。また自慢の恋人というのは時に身近な誰かに披露してみたいというのもあるし、そういう恋人とはあまり近すぎず、かつ離れすぎないところにいつも一緒にいたいと思うところも似ている。
そして何より、自分の大切な恋人が、また同じく自分の大切な誰かに貶されているのを見ると、何とも言えずもどかしい気持ちになる。
いつもどうにも喩えようのなかった思いがうまいこと形になったような気がする。こういう時は本当に気分がいい。
忘れないうちにどこかへメモしておこう。しかしその前にとりあえず手を洗わなくては、と狭い台所へ行く途中でもう一つ思いつく。
恋する相手がころころ代わるように、好きな本というのも一冊だけには留まらない。読んだ相手もその時どきによって違う印象になるし、気分が乗らない時はちっとも読んでいられない。
しかし本当に好きな本となると、不思議といつでも好きな気がする。
いよいよ気分が乗ってきた。これは良い調子である。最近見ることなく、とうとう死んでしまったかと思っていた僕の頭が珍しく冴えているようだ。今ならこの手を流れるキンキンに冷えた水道水もほのかに温かく、祝福してくれているようだとさえ思える。
さて。手を拭い、これらをどうメモに残したものかと悩むが、改めて言うまでもない、実に幸福な悩みである。
台所の向かいにある風呂場の鏡を確かめるまでもない、今僕は薄気味悪い笑みを浮かべていることだろう。
それもまた良い。
へらへらにやにやしながら万年床の横の万年筆をおいた丸テーブルの縁に思いっきり膝をぶつける。
星が舞う。
声は出ない。
ほとんど座った姿勢であるのに立眩みがする。
手をつき横向きに倒れる。
打っていない方の足を上に、勢い良く倒れこんだものだから、先に布団に着地していた負傷済みの足に無傷の足がこれでもかと打ち付けられる。
泣きっ面に蜂である。
もういい。
もういいから。
どうだっていいし。
さっき思いついたこととか、別にメモした所で何かに使えるってわけでもないから。
無意味だから。
しかしこの膝の痛みは、たとえ無意味だったとしても、真実この上ないのである。
いたい。
すっごくいたいし。
やめてよ。
ばーか。

布団を被り、今がこの時と眠りに就くことにする。
先ほどの素晴らしい着想は、夢から醒めるその頃には、すっかり忘れ去られているであろうことは、想像に易い。
膝の痛みは、おそらく癒えていない。


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カテゴリ: おはなし 

かさましの愛。


愛。
愛ってなんだろうね。
愛ってなんだろうね、と女は言った。
愛ってなんだろうね、と女は言ったが僕はただ黙って眺めていた。
愛ってなんだろうね、と女は言ったが僕はただ黙って眺めていただけだった。
愛ってなんだろうね、と女は言ったが僕はただ黙って眺めていただけだったので、女が退屈そうにうつむいた。
愛ってなんだろうね、と女は言ったが僕はただ黙って眺めていただけだったので、女が退屈そうにうつむいたその姿が笑っているように見えた。
愛ってなんだろうね、と女は言ったが僕はただ黙って眺めていただけだったので、女が退屈そうにうつむいたその姿が笑っているように見えたのは間違いでなかった。
愛ってなんだろうね、と女は言ったが僕はただ黙って眺めていただけだったので、女が退屈そうにうつむいたその姿が笑っているように見えたのは間違いでなかったように思う。
愛ってなんだろうね、と女は言ったが僕はただ黙って眺めていただけだったので、女が退屈そうにうつむいたその姿が笑っているように見えたのは間違いでなかったように思うのは、女がただ黙っていたからだ。
愛ってなんだろうね、と女は言ったが僕はただ黙って眺めていただけだったので、女が退屈そうにうつむいたその姿が笑っているように見えたのは間違いでなかったように思うのは、女がただ黙っていたからだとしても不思議はない。
愛ってなんだろうね、と女は言ったが僕はただ黙って眺めていただけだったので、女が退屈そうにうつむいたその姿が笑っているように見えたのは間違いでなかったように思うのは、女がただ黙っていたからだとしても不思議はないのに僕は不思議な気持ちだった。

不思議な気持ちだった。
女が笑っている。
女がただ黙っている。
女がただうつむいている。
女がただ黙ってうつむいている。
ちがう。
黙っているのは僕だった。
女がただ黙ってうつむいて笑っている。
不思議な気持ちだった。
女が笑っている。
不思議な気持ちだった。
僕も笑っている。
不思議な気持ちだった。
僕が笑っている。
彼女の代わりに。
笑っている。
笑っている。

愛ってなんだろうね。
僕はただ黙って眺めていた。
彼女は僕の顔を見てぷっと吹き出していった。
「へんなかお。」
僕は笑って言った。
「それが愛だね。」
僕と彼女はうんと頷いて、僕と彼女は等しく笑った。

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