Sincerely for...

このお話は事実を元にしたフィクションです。 期待は小さく、思い出は大きく。

針鼠の心情






私は社交辞令というものが全く効かない人間です。


『また今度ね』と言われれば、『今度』の予定をたてます。

『メールして』と言われれば、その日にします。

冗談が判らない訳では ありません。

冗談は言うのも聞くのも好きな方です。

世辞を知らない歳でもありません。

だからわかっています。

ただ、

嬉しかったんです。


また言ってやって下さい。




嫌われるのは得意です。
好きではありません。

嫌われるのは慣れました。
嫌われて平気ではありません。


私は嫌われたくはありません。
できることなら好かれたいです。

けれど、それ以上に忘れられることが恐ろしいのです。

あっさりと忘れられるくらいなら、強く記憶に残りたい。
例えそれが『嫌い』という感情だとしても。


けれど、一番な人には、やっぱり、好かれていたい。かな?




よく『くどい』『しつこい』と言われます。

好きな人に言われた時は 流石に凹みました。


違うんです。これはわざとではないんです。


しつこくした後は決まって自己嫌悪です。

愛も希望も亡くします。


特別な感情を抱いた人に多くこんなことしてしまいます。


これが原因で嫌われた事が何度あったか。

自ら友人を減らしていると感じます。




自分がされて嫌なことを 気付くとしています。


とりあえず私は私が嫌いです。

自分を愛せない人間が誰かを愛するなんて、、、体力が保ちません。

それでも愛されたいとは思ってしまうのです。

勝手です。
勝手過ぎます。
そこも嫌いです。

こんな私の話すら黙って聴いてくれるあなたのことが私は好きです。
優しい人です。あなたは。


けれど愛することは出来ません。

私は私が嫌いだから。




先日はすみませんでした。
ダラダラと、そちらの事情・感情も考えずに。
余りの嬉しさに我を忘れておりました。


ええ。私事です。
が、直接言う勇気など見当たりません。
遠回しに遠回しに、届くことを祈ります。

散々謝っておいて また話したいなんてぬかしやがります。こいつは。

許してやって下さい。


そして、


また話してやって下さい。




楽しい人を観るのは好きです。

私も楽しくなれます。

でも、楽しそうな顔をするのは苦手です。

私は楽しんでいます。








楽しいです。とっても。



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小学校へ行く前から昨日までで考えた事を今日の私が客観的に見て思ったことのひゃくぶんのいち






私は小さい頃からよく『気難しい奴だ』と言われてきた。

頭の回転が速いとは言えなかった(当然今も)私は考え込む事が多く、よく喋るのも、会話を待ってくれる先生とが多かった。


そんな私も大喧嘩をした。
理由はほんの些細な事。今思えば阿呆みたいな意地の張り合い。
そして三日後には無事に仲直りしてた。


『喧嘩するほど仲が良い』けれど私はそれとはまた違った考えを持つようになった。

喧嘩別れも仲直りも、始まりも終わりも言葉である。




私は人間を進化の先端だと思ったことは一度も無い。
頭に付いたデカい理性の塊のせいで他の生物の様に、本能で相手のコトを読めないし、当然仕草で意志を伝えたりも出来ない。


物事はその多くが補完的であり、「足りない」だけでは終わらない。
その足りない(足りなくなってしまった)部分を言葉が埋める。その役割を請け負っているのだと私は考える


言葉の在るべきは『can』ではなく、『must』だと私は思う。


隣人は勿論、妻も夫も我が子でさえも、言うなれば他人。他の人である。
そんな互いの心を示すのは唯一言葉だけなのだ。

聞こえなくても見えなくても、言葉はどの世界にもある。

それは言葉が必要だからなのだ。

在って当たり前なのではない。なくてはならないモノ。


しかし、最近は言葉ないし文字に対しての意識が薄れてきていると、私は感じる。



だがしかし、前にも言ったかもしれないが、私は勿体無いのが嫌だ。


存在すべきモノがまだちゃんと存在している。

遣わないなんて勿体無いことはしたくない。

せっかくなんだからみんなでもっと言葉を遣おうではないか。


















楽しく、生きよう。










ここで私の言う『言葉』というモノの意味は一般的なものとは異なるかも知れません。

私の著したい意味を汲み取って頂けると幸いです。
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〜my sign@ls〜





[ふと気付くと、そこは夢のなか。
夢でみた美しい世界をあなたにも、届かせたい。my sign@lsにのせて]










1.
知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
夢に賭ければ馬鹿にされ、愛に尽くせば笑われる。
内に籠めれば呆れられ、外に出し切れば飽きられる。


退けず進めぬこの道を、登らず下らず眺めつつ。

永遠のように広がり続けるこの宇宙の中で、永久のように萎み続けるこの躯。

どんなに辛くとも、消えない、消させてくれない。

出るしかない先に待っているのは終わりだけだと  わかっているのに





2.
遥かな道のずっと先には、一体何が在るのだろう

黄色い大地を歩き、緑の森を抜け、白い霧の晴れた先に、待っているのは

希望の光?愛の勇気?慈悲の心?真理の悟り?それともあなた?





3.
始まりがあれば、必ず最後には奴等が居る。

奴等は全てが無であるとは限らない。

無の境地を追い求め、奴等に駆け寄って行った時、奴等の内でみるものは
無などではない。
唯々在り続ける世界。
秩序も脈絡もない混沌の世界。

幻想のようで現実の世界。
何も無いようで、全てが在る。唯一、「前へ進む必要」を除いて。





[三つの夢が、夢と戯れるあなたの耳元でそっと囁く]





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想い 焦がれて、



しばらくノータッチだったが、少し前にやっとブログの話題提供があったな。

流石に無視し続けるのは£さん(誰だろか?)に悪いんで、そろそろ本気で触れます。



しかし、どうなんだろうか。
書き方として、面白かったコトを所々摘んで書こうか、それとも流れに沿って事細かに書こうか。


言ってなかったかもしれないが、私は転勤族だった。
小さな学校ばかりだったので解らんが、のんびり暮らす方々よりは、人との出会い・行事等経験は豊富であると自負している。


まあ、出会いの数だけ出来事も在る訳だ。

私の転校の変遷に従って書いていこうか。






まず、一校目だが、
私はこの学校のある街で生まれた。

そこはとても小さな学校で各クラス一組ずつは当然であり、しかも、一組二十人程度といった感じだ。


学校は(小1・2年だった私から見ても)さほど広くなく、わりかし綺麗だった。

して、とにかく給食が旨かった。



保育園あたりでもう初恋は済ませていたが、外に対する興味関心の強かった私はなかなか恋多き人間だった(である)。


と、言う訳で、やはりその頃も当然好きな人はいた。今、記憶しているのは3人だな。



1人はおさげの可愛い子だった。が、残念ながら私は好きだった記憶が残っていない。
確か、今私が通っている所の近くに住んでいる筈。



2人目は面倒見の良い、華奢だったが、明るく元気な子だった。

その子とのことで良く覚えているのが、あれは確か二年の頃。
クラスで九九を覚える時、人一倍物覚えが悪く、居残りしてた私に付き合ってくれた彼女。優しかったなぁ(一方的な想いで本当は迷惑だったろうけど)。



3人目は......正直この子の事が一番好きだったと思う。
同じように成長して知り合ったら、きっとまた惚れるだろうと思う程に。

ちっちゃくて可愛い感じか?どっちかというと。
やっぱり惚れるタイプって、似てるんだな。











恥ずかしいからもう終わる。
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遅れまして、改めまして、初めまして。





冷たい秋風が木葉を揺らし、一人淋しく歩くあなたのこころをすり抜ける今日、如何お過ごしですか?
寒い時にはやはり温かいモノが欲しい。
と言うことで、こんなheart warmingな噺を.......。






『しかし、そのラーメン屋はいつまで経っても売れなかった。何故売れないのか、店主には皆目見当もつかなかった。
味は悪くない。研究や努力も惜しんでいない。店主のおやじが不細工?そんな事は......ない。近くに超有名店がある訳でもない。しかし売れない。 何故だ。
おやじ店主は考えた。考えて考えて考え抜いた。が、わからなかった。

だから走った。

何故走ったか?それは知らない。恐らく当人も。
ただ、走れば何か変わると。何か思いつくと。信じていたのか、信じるしかなかったのか。
おやじは走った。
ひたすら走った。がむしゃらに走り続けた。空の岡持がガラガラ鳴り、ジロジロ見られようとも。
休まず毎日街中を全速力で走り続けた。

するとどうか、二週間、三週間と経つ内、次第に客が入り始めたではないか。そしていつしか近所でも人気の店となった。

近所の人は、岡持を持って激走するおやじを、初めは白い目で見たかもしれない。しかし考えてみると
「ラーメン屋の人が岡持を持って激走」
ただの出前ではないか。 それも毎日。

「何やらあそこのラーメン屋はえらく繁盛してる。美味いらしいぞ」
噂が広まるのにそう時間はかからなかった。

それから30年。今はもう空の岡持を持つことは無くなった。彼は今日もお客さんの為に重たい岡持を運んでいることだろう』





如何でしたか?
この話でわかって欲しいことは......まぁ、人によって違うでしょうから私は何も言わないでおきます。


ではまたの機会に。




















あぁ、ラーメン食いに行こ。







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