突然ですが、私はチョコレートが大好きです。
あの味・香り・食感全部好きです。
例えばビターじゃなきゃダメだとか、ミルクチョコの甘いのじゃなきゃいけないとかそういうのはありません。
その商品がその商品なりに美味しければ問題ないです。

思えば私は、気付いた時にはチョコレートが好きでした。
好きになる思い出があるとかそういう事は全くないんですが。(むしろ所謂“あの日”には悲しい思い出ばかりです)
ちょっぴりほろ苦いのも、たっぷり甘々なのも、どっちも良くて、そこが好きです。
ひょっとしたら、そういう経験が少なかったり、憧れてたりするからなのかも知れません。

ただ、僕には不安があります。

好きな物、こと食べ物に関して“飽きる”というのはよくある話です。
食べ物以外でも一つの事に熱中して、それこそ嫌というほどやればいつか好きだったものも嫌いになってしまいます。
大好きな大好きな物も、毎日毎日沢山食べれば嫌にもなります。

ふと思ったのですが、何故好きだったものを嫌いになるのでしょう。

確かに“嫌になるほど”と言葉をみれば当然な気もしますが、それで勝手に相手が変わる筈もなく、つまり何を言いたいかというと、“飽き”というのは自分の変化によるものだ。という事です。

では自分の何が変わってしまったのか。

好きな物を好きになる理由は様々だと思いますが、“好き”というのは“強い関心を抱いている”という感情に近いとでしょう。
相手が自分にとって得だとか以上に、相手の良さを認め、受け入れる事だと思います。
そして嫌いになるというのは、その関心が薄まる事・・・・・ではありません。
関心が薄れれば単に何とも思わないだけで無視すれば良いわけですから、嫌う理由になりません。

では何か。私はこう考えます。
好きの逆、嫌い。関心があるの逆、関心がない。
これは前の話と一緒です。でもちょっと違います。
好きな場合の関心はその物・相手に対しての関心ですが、飽きた時に無くなるのは“自分への関心”なのです。

『それ』が好きで一生懸命だった自分に興味・関心がなくなってしまえば拘る意味も消え去り、それにかける時間も苦痛へと変わってしまいます。
そして何よりこの関心には“逃れられない”という特徴があるのです。
単に無視すれば良いものも向こうが離れてくれないからどんどんと『それ』を嫌悪するようになるのです。
だから強い愛情は強い憎しみに変わりやすい。