石橋を叩いて避ける
こんばんは、僕です。
あついのは苦手です。
まだ七夕が過ぎたばかりだというのに、
僕はもう溶けそうです。
っていうか部屋と廊下の温度が違いすぎる。
なんとかならないのかこのつくり。
寝ぼけまなこでケータイを開いて絶望した。
絵文字メール然り、この携帯電話のメールツール文化というのは独特なものらしい。どこかの本で読んだんだと思うが。
今はそうでもないのかな?
まああっちではドコモよりノキアのほうが人気だって聞いたし、まあそうなんだろう。
なんでまた起きて早々に落ち込まにゃならなかったかっていうと、それはケータイの開いた画面にあったのです。
開いた画面はいつもの目覚まし画面ではなかった。
“受信メール一覧”
そこにはつい最近目にしたような名前が並んでいた。件名には味気なく「Re:」
言い訳をさせてもらえばその日僕は腰痛と鼻炎が悪化しており、しかも愛用の鼻炎の専用の薬が切れているという状況で非常に異常に苛々していた。
だからいけないとはわかっていながらも、そう、いけないことだとはわかっていながらもやってしまったのだ。薬のあわせのみを。
おいしいんですよ。痛み止めと飲むコーヒーは。
風邪をひくと関節が痛みます。だから風邪薬の中には関節の炎症を抑える成分が入ってるんだとか。
僕はそれを流れ出る鼻水を抑えるために飲みました。
腰痛には腰痛の、対ヘルニア用の薬はあったので飲みました。
苛々していたその時、どのようにして飲んだかは前述の通り改めて書くまでもなく。
あのたとえようのない解放感と抱擁感は実際に体験してみないとわからないものです。
解き放たれる感覚と包み込まれる感覚を同時に感じるというのは、まったくの矛盾ですが、それはなってみなきゃわからんことなのです。
そんな浮足立った状態でしたメールが、どんな内容だったか、正直覚えていません。
メールとは、電話とはまったく違います。むしろ共通してるのは連絡できるという点だけです。
なかでもこのメールの特徴といえるのが、『相手方に残る』という点です。
薬を飲んで、その勢いでメールして、挙句ぶっとんで記憶なくして夜が明けたころ、開いたケータイが示すのは地獄への道順ですよ。
たぶんそう思わせたのは、僕がその相手となる先輩にいままであまり話しかけていかなかったから。というのとじつはこっそり好きだったから。というのがあるんでしょう。
いま「言わなきゃよかった」という後悔と「言えばよかった」があるのはそのせいなんじゃないでしょうか。
今がまだフリーならちょっとくらい離れてても・・・と思ってしまうのは、
ただ単に痛み止めが効いているだけなのです。
どこかの誰かさんみたいに薬が効いてハイになっているだけなのです。
だから今でもまだちょっとは・・・なんてことはないのです。
しかしその人が美人だったということは紛れもない事実です。
そしてこんな恥ずかしいことを何度も言えるのは、こんなブログは読んでないだろうと高をくくっているからです。
これで本当にこれ以降メールなんかできないんだろうから哀しいものです。
ふらふらしてきた
(*・Å・)/