2000年代に入った頃からだったろうか、健康志向のTV番組が加熱し始めたのは。
これを食べれば血がサラサラになるだとか脂肪の燃焼を助けるのはこれだとか、放送された次の日にはそれらの商品が無くなるという社会現象まで巻き起こした。
僕はそもそもそれらのTV番組が提供する「健康志向」というものに疑問をいだいていた。というより、情報の多くが「なんか胡散臭い」と思えてしかたなかった。

それから流行ったのは雑学ブームだろう。
これはおそらく、たんに「健康に対する雑学」が「日常のいろいろなことに対する雑学」に姿を変えただけに思う。
雑学を知っていると話題が広がるとかいうのもブームになった要因にあるのかも知れない。

それの少しあと、ブームになったのは「脳科学」というジャンルである。
正直初めは期待した。脳というまだ未開の地に多くの人が目を向けるということ、なによりそれらをTVというメディアで知ることができるという期待があった。
しかし実際には違った。期待していたような科学的なものではなく「今の脳科学での分野ではそういうことになっています」というなんとも押し付けがましいものでしかない。

TVというものは多くの人が見る。子供から、老人まで。そういうことからきっと、小難しい理論やシステムを正確に述べるよりも、ちょっと押し付けがましいようなもののほうが、無理やり感があってもわかりやすいし受け入れられやすいのだろう。
そういうものの方が“ウケる”のかも知れない。

ところで最近は教育関連の番組をよく目にする。
そういうものを僕が選んで見ているといえなくも無いが、それにしても「天才を育てるには」とか「子供にはこれがいい」とか、そんなのが少し前にくらべ多くなってきているような気がする。

僕はここで2つ思いついたことがある。
ひとつは知識の流れであり、もうひとつは見る層の流れである。

知識の流れというのは「なにを見ているか」に注目してみるとわかりやすい。
健康番組はお笑い番組などの娯楽番組に比べ意識が「自分自身」強く向いている。自分は健康であるか、どうすれば健康になれるか、などと言った具合に。
次に現れた雑学ブームは今度は外を向いている。知っていることの優位性を感じていたのだ。
その後に現れた脳科学ブームであるがこれは自分自身の、さらに「脳」というかなり深いところにあるようだが、実際は「しらないものを知る」という点においては雑学とさして変わりはない。或いは「身体の次は心に」という目の向き方かも知れない。
そして教育関連の番組についてはその心の矯正、または成長と言ったものが幼少期の経験に由来するものであるから当然とも言える。また不況が騒がれる昨今に「良い部下になる(あるいはする)ためには」という教育なのかも知れない。

もう一方の見る層の流れというのはまさに読んで字の如くである。
健康か雑学への流れは先に述べたとおりであるが、健康志向の番組や雑学関係の番組で知識を得た人たちが「じゃあその知識はどう保管されているのか」「身体の健康はわかったが脳の健康はどうか」と疑問に思うのは自然な流れだ。
さらにその人たちが今度は子供を持つ。そうして今度は教育に興味を持つ、というのはごく当たり前の流れではないだろうか。

子供を持つ人間が教育に興味を持つというのは実に素晴らしいことに思うが、自分の子供の名前の未来を想像できない大人がはたしてそのこの将来について本当に考えることが出来るのだろうか。甚だ疑問である。
この疑問から、私は次に来るTVの流れは教養であると推測する。
ここに於いての教養とは、一般常識や広い知識のことではなく、一般人・社会人としてあるべき品位・人間性のことである。

僕はTVというメディアが好きだ。育ててもらったと言っても良いくらいに感謝し、期待もしている。
僕はそのTVに優れた教養人が教養とはなにかを語っている新番組を想像する。
そしてその番組を見て教養に興味を持ち、或いは教養を得る人たちを想像する。