ミスチルを聴くと中学時代を思い出す。

特にアルバム「シフクノオト」は僕の記憶のど真ん中に座っていて、僕はそれを退けることもできないんだ。

僕の記憶の時間の中の「それら」を退けられないのは、
「それら」があまりにも強い記憶だから、というわけではなくて。
「それら」があまりにも大きな存在だから、というわけでもなくて。

僕の記憶の時間の中の「それら」を退けられないのは、

そもそも僕は「それら」を見つめる事ができからなんだ。


「それら」を核とする中学時代の僕の記憶

振返るとどうだろう、楽しくて、明るくて、眩しくて、恥ずかしくて、申し訳なくて、辛くて、苦しくて、、、

何の不安も反省も気兼ねもなく「それら」を「今の僕」が楽しめるようになるために、幸せに過去を振返られるようになるために僕は何かしなきゃいけないのだろうけど、そもそも「今の僕」は「それら」に立ち向かうことも出来ずにいるんだ。



中学の時の同級生・先輩・後輩・先生その他沢山の人々に対して僕は罪の意識を感じているんだ。「反省している」では済まないくらいに。
今は立ち向かう勇気すら無い状態。


ミスチルを引き金に僕はとうに過ぎ去った中学時代