(1)
管弦楽はもう平気っぽいです。
弦アンサンブル系も大丈夫みたいです。
ビックバンドジャズはもともとそんなに好きじゃなかったので分かりませんが、まあなんとか聴くことは出来るみたいです。
サキソフォンのソロ楽曲はかなり辛いです。ギリギリアウト、という感じ。
同アンサンブルは意外にも平気です。ちゃんと音楽を聞いて感動できるくらいに。しかしフラッシュバックにはまだ襲われます。
吹奏楽曲は完全にダメです。テレビでかすかに流れても反応してしまいます。今までの、自分の領分のものに対するような反応ではなく、違和感というか、言いたくはありませんが微かな嫌悪感のようなものが、まだ確実に残っています。
間違いの種を植えたのは僕であり、それらに対してまっとうな対処を怠ってきたのも僕自身。僕は僕に対して罪を犯し、そのために僕は僕に償わねばならないのです。
僕は過ち、僕を不幸にした。だから僕は努め、僕を幸福にしなくてはならないのです。
これは自省ではありません。
これは逃亡ではありません。
これは後悔ではありません。
これは謝罪ではありません。
これは請罪ではありません。
これは償いではありません。
これは諦めではありません。
これは希望です。
これは決意です。
僕が僕の中に見つけたものは、
後悔と、
絶望と、
諦めと、
使命と、
目標と、
目的でした。
あとは、勇気と、努力だけです。
とてもとても、簡単なことです。
(2)
振り返ると後悔ばかりの人生です。
あの人に、この人に、みんなに迷惑をかけて、問題の僕は目を瞑り耳を塞ぎ身を屈めて時間が去るのを待つのみ。ただただ逃避のみ。
振り返ると後悔ばかりの人生です。
ああすればよかった、こうしたかった、でも出来なかったやらなかった。残るのは後悔と過ぎた分の時間を蓄積した僕の体だけ。
振り返ると後悔ばかりの人生です。
誰に謝ればいいかも分かりません。謝り続けているうちに残りの時間がなくなるかもしれません。何をすればいいのかも分かりません。何も出来ないでいるうちに色々なことが出来なくなりつつあります。
振り返ると後悔ばかりの人生です。
振り返った先には過去の僕がいます。僕は僕を見つめています。僕も僕を見つめています。僕は僕を見つめて考えるのです。
「僕は僕で僕には僕のできることができるのだ」
これは結論ではありません。これは僕の考えた僕のことで僕自身なのです。そして、僕にはまだ結末はないからです。