昔っから言っていて、ずぅっと「やりたい!」と思っている事の一つに“失踪”がある。
 とはいえ別にそこまで大した事をしたいというわけではなかったりもする。例えばその一番してみたいと思っている失踪の内容の一つは“ケータイ・リセット”だ。こんな瑣末な事をしたり顔で言っているのもなかなか恥ずかしいものがあるが、いやいやこれが一番してみたい失踪の内容の一つなのだから仕方ない。

“ケータイ・リセット”はある日、突然に訪れる。
 差し向けるのは私で、差し向けられるのは携帯電話そのものだ。
 その日を境に携帯電話の記憶は総て消え去って初めの頃の「1」となり、更に携帯電話自身もその内と外の全てをして捨て去り「0」となる。しかしまだこれで完了ではない。これでは“リセット”がなされていない。“私”のアーキテクチャとして、新たな媒介としての携帯電話その姿を新たにその場に具現させて以て「1」となる。
“ケータイ・リセット”が発動し、上手く事が運ばれれば私自身はその時にようやく“一人”となる。ゆめゆめ謬ることなかれ。この時の私はあくまでも“一人”であって“独り”ではないという点は等閑に付すべきでない。

 ところで、失踪というものは行方をくらます事であり、他人との紐帯を屠り、こちらからは言うまでもなく相手方からも一切の連絡の無いようにするはずであるが、残念ながら、というべきか、さきにも述べたように私はさして失踪というそのものの正しい姿に拘ろうというつもりは、あまりない。
 或いは、自分からの無闇な接触さえもたなければそれで十分なものなのだと言えなくもない。
 また、関係の断絶にさしたる感慨は無くとも、その行為による影響は多分にあるだろう。つまり「相手を傷付けるかもしれない」という心配である。その点において心を痛められぬほど人の心は捨てていない。

 私には、“ケータイ・リセット”は出来ない。

 少なくともまだ、と先に入るにしても、これは確かな事実だ。そこで、ではどうするかということを考えてみる。
 意外にもこれは非常に簡単な事だった。