Sincerely for...

このお話は事実を元にしたフィクションです。 期待は小さく、思い出は大きく。

カテゴリ:いのち

愛と祈り´


I.
 君のためならそう、死んでしまったっていい。


1.
 愛は祈りだ。だから祈る。僕は祈る。

続きを読む
kayuコメント(0)トラックバック(0)  
カテゴリ: おはなし  いのち 

愛と祈り

I.

 君のためならそう、死んでしまったっていい。




続きを読む
kayuコメント(0)トラックバック(0)  
カテゴリ: おはなし  いのち 

だけど僕たちは、


米の磨ぎ汁が随分と白いので、

なにか植物でも買おうかと思った。

昔、サボテンを枯らした事を思い出したので、

やっぱりやめようということになった。

誰かが死ぬのが悲しい

とか、

あんまり、

言わないけど、

自分の知ってる何かに、

もう会えないんだって思うと、

それはちょっと淋しいかも。

ちょっとだけね。



お米はもう炊けた。


kayuコメント(0)トラックバック(0)  
カテゴリ: おはなし  いのち 

明日には、また日が昇る。




 携帯電話を落とした。
 その上を白い軽自動車が通った。赤いワゴン車だったかもしれない。どうという違いではない。
 赤いフレームの欠片が黒いアスファルトに映える。僕はそれを歩道の上からただ黙って見ている。
 なにも急ぐ必要はなかったのだ。携帯電話がポケットに入ったことを確認して。車が来ていないことを確認して。なんだったら少し先にある横断歩道を使ったってよかった。

 ふいに、なんだか全てがどうでもよくなった。
 これからどうしようかとか、考えるべきことはあるし正直不安でたまらなかったはずなのに、僕の身体はは言葉にし難い解放感みたいなものに包まれていた。
 取り返しのつかない状況に絶望してしまったのかもしれない。でも、どこかでこうなることを待っていたような気もする。
 夕日が沈んでゆく。
 今のこの世の中で本当に一人でいるということは難しい。たった一人で生きてゆくというのは不可能だと言ってもいい。
「でも」と僕の中の僕が言う。
 身体的に一人になることは不可能でも精神的に一人になることは可能かもしれない。

 自分で捨てる勇気はないから、誰かに捨ててもらうことを待っていた。
 これは自由ではない。解放でもない。
 なにか、と訊ねられればこれは「裏切り」である。
 僕は瞼を閉じ、青空を心に思い描く。吹き抜ける風を想像する。そこに立っている自分になる。
 持っていたものを失ったのか、失ったという現実を得たのか、それは単なる言葉遊びにすぎない。

 静かに深く息を吸う。吐いた息が白く濁る。
 確かな足取りで僕は家に帰る。
 住み慣れた我が家に帰るのは僕以外に誰もいない。
 僕のこの世界には僕以外に誰もいない。

 明日には、また日が昇る。



kayuコメント(2)トラックバック(0)  
カテゴリ: おはなし  いのち 

文化という記憶形態



文化とは、その語源が意味するとおり自然に人が手を加えて形をなすものである。
またその形態は地域や民族により多種多様である。

ただまあ今回重要なのはそんなことじゃなくて、その文化というものがこの広い地球上のいたるところに形成されているということである。

よく「ゴキブリ並みの生命力」なんて比喩表現があるが、人間の侵略能力もなかなかバカにできたものじゃないと私は思う。
TVやなんかでジャングルの奥地の映像などをみると、そこは危険で恐ろしい別の惑星化のように映る。
武器となるような身体的特徴を持たないひ弱な人間が、未知の領域に恐怖感を抱くのは生き物として自然なことかもしれない。

しかし人はそれ以上に「ヒトがいない世界」に対して強い恐怖を抱いているのかもしれない。
たとえば「孤島」「無人島」というキーワードは映画でも小説でも使い古された、しかし今なお使われ続けるテーマである。
外部と隔絶された世界が恐怖であり異常な事態である。ということは、人は他者とつながっている状態で初めて正常だと言えるのではないだろうか。
「人間」という字のごとく。

文化は発展していくものである。
発展とは一人の一つの行いで成り立つものではない。
文化とは人間によって発展していくものなのである。
けれどそれくらいのことは他の生き物だってしてる。
毒を持つカエルやヘビは見るからに毒々しい体の色をしている。
そうやって自分が危険なものを持っているということを周りに示しているのだ。
そしてなにより周りにいる生き物もそれが危険であるということを知っているのだ。
アレを食べると死ぬ、コレを食べると危険というのを、経験として共有することで身にかかる危機をより少なくしているのである。

経験や体験といった記憶の共有によって生きることをより容易くしているという点ではヒトも他の生き物も大した違いはない。
しかしヒトにはその記憶の共有をより高速かつ強力に行うすべを持っている。
それが言葉だ。

なにをするとどうなる。
そういった体験や経験などの記憶を、その時その場にいた相手だけでなく、遠く離れた場所や時間にいる相手にも伝えることができるこの言葉という武器でヒトはその文化を効率的に発展させていった。

言葉を用いた記憶方式によって人間は人間らしい文化を作り上げていった。
逆にいえば、文化とはある種の記憶形態なのである。
世襲がはたして悪いものかという議論は今はしないが、効率的な記憶の継承は効率的な発展につながる。

このような考え方は今日の科学至上主義にもつながりかねないし、表現のおおもととなる「こころ」のようなものはどこから来るのかなどといった問題点もあるが、それについてはまた別の機会にでも。





続きを読む
kayuコメント(0)トラックバック(0)  
カテゴリ: いのち 

だからなんなの



『人が想像し得る事に

実現出来ない事は無い』




現実が想像を創り

想像が現実を作る



想像は創造に似ている。













僕は今、意識だとか心だとか、そういったものに大きな興味を抱いています。
しかし同時に、それらの曖昧な姿に感じる疑いの念もまた膨らむ一方なのです。

意識や心などと言うものは、所詮は情報の入力と出力にすぎず、まるで自分が考えているかのようにしている言動も所謂ひとつの反応でしかないということはごく単純に考えられることではないでしょうか。



さて、想像というのは記憶と記憶の関連付けであり、記憶無くしては有り得ません。
となると完全なるオリジナルというのは有り得ない事になるのではないでしょうか。
他者の製作物を用いて作り出される物のオリジナリティーとは果たしてどういうことか、
自分の考えだと言い張るそれに、果たして他者の言葉も含まれていないと言い張れるのか、

こう考えてみると独創と謳うそれは、全くの継ぎ接ぎでしかないのではなかろうか。

なんとも独創というのは心許無い。
まるで人の心のような姿をしている。



続きを読む
kayuコメント(0)トラックバック(0)  
カテゴリ: こころ  いのち 

姫君の告白


どうも、こんばんは。僕です。

なんていうかもうアレですね、冬ですね。
僕の部屋は毎晩毎朝寒くて大変です。まあストーブつけりゃいいだろって話なんですが、せっかくなので冬を感じて過ごしています。それこそ身体の芯まで。

ところで街は今もうクリスマス色でいっぱいですね。
別にクリスマスに何の悪意もないし、僕も何か恨みがあるってわけじゃあないのですが、どうもアレだけは解せないんですよ、アレ。
“クリスマスイブイブ”って何なんでしょうか?
そもそも“イヴ”ってeveningの省略なわけで、じゃあそれってどういう意味だっけ?って。“〜の前”なんて意味はこれっぽっちもないですよね。少なくとも僕の記憶と手元の辞書にはありませんでした。
夕暮れの夕暮れってなんだよ・・・何次元の世界の話を繰り広げてるんだよ・・・
というのが僕の心の叫びです。
もっと言えば、なんで前々日は祝ってその後は祝わないんでしょうか。イブイブが認められるならもっとこう、クリスマス・ジ・アフター的なものもあっていいんじゃないかと。
まあクリスマスの当日なんてせいぜい朝しかその意味を持たないから、翌日なんて見向きもされないんでしょうが。
第一、僕はこれ以上のすい〜つ業界の発展を望んじゃいませんし。

暗く寒い部屋で独り淋しく感じる、日本全域に至る恋人たちの浮かれ祭より、これからますます新聞のテレビ欄を彩ることになるであろう年末年始の特番のほうが僕はよっぽど気になります。

別に一緒に過ごす恋人がいないからとかそういうのではなく。
決してそういうのではなく。


続きを読む
kayuコメント(2)トラックバック(0)  
カテゴリ: いのち 

始まりは終わり。終わりは始まり。



満月の光の下

僕は哭く

全ては夢だったのかと


満月の影の下

僕は嗤う

夢なんてみれたのかと







太陽の熱の中

君は泣く

これが夢でも構わないと


太陽の光の中

君は笑う

夢より素敵な世界にしようと







続きを読む
kayuコメント(0)トラックバック(0)  
カテゴリ: いのち 

懐かしい夢の話



嘘をつく人が嫌いだ。
それは僕が僕を嫌う理由の一つ。
昔――と言えるほどの時は経っていないかもしれないが――ある人に「自分のことが嫌いだ」と言ったことがある。
そういう内容の事は今までに何人かに言ったりしたことがあって、別に“告げた”と言う事実事態にさして特別な所は無かったんだが。
僕は、その後の、彼女の返答に驚いたんだ。

どうしてそんな事を言う状況になったのか、今はっきりと思い出すことは出来ないけれど、たしかその時は学校からの帰り道で日も沈みかけていた頃だったと思う。
いつも思っていることだったから、僕は特にいつもと変わらない声の調子で、表情もさほど変化させずに“それ”をポツリと呟いた。
何の気なしに言った言葉に対する反応だし、別に大きな期待もしていなかったのだが、全くの無反応というのもちょっと困ってしまったので僕はつい彼女の方を見てしまった。正確には“彼女がいた方向”なわけだが。
並んで歩いていたはずの彼女は気づくとそこには居らず、僕の少し後ろの方で立ち止まっていた
斜め下の方を見ていたからはっきりとは見えなかったが、その立ち姿からなんとなく彼女が怒っているような空気を察知した僕は
「えっと・・・・・なしたの?」
と、文字で書いてもわかるくらいに恐る恐る近づいて、訊いてみた。
顔を上げた彼女は口を真一文字に口を結んで僕を見つめた。普段は明るく、快晴のような笑顔の似合う彼女がみせた突然の表情に僕はついひるんでしまったのだった。力のこもった黒目勝ちの円らな瞳は涙に濡れている・・・・・・ように見えなくも無かった。
問題は彼女が怒るにしろ泣くにしろ、タイミングや状況的に原因がこの僕であることは明らかで、だったらどっちになるとしても僕はここで何らかのフォローをしなくてはならない。いや、するべきだ。
しかし、思うだけなら誰にだって出来る。問題は“何をするか”なのだが・・・あー・・・果たしてこのなにもわからない状況で一体何ができようと言うのか。
僕の苦手な“真面目な空気”に、耐え切れず目を逸らしてしまったところでやっと彼女が口を開いた。
「どうしてそんな悲しいこと言うの」
言葉の内容からして恐らく語尾にはクエスチョンマークがついて然るべきなのだろうが、僕の心境と彼女の声の勢いから問いかけのニュアンスを感じ取ることは出来なかった。

「悲しい」というのは、あまり言われ慣れていない感想だった。
「そんなこと無い」とか「なんでそう思うの?」とかいった範例的な返答を差し置いて出てきた彼女の「悲しい」という感想に、僕は
「・・・悲しい?」
と、言われたことをそのまま返すことしか出来なかった。
それからまた、暫くの沈黙があって
「自分のことが嫌いだなんて、そんなの淋しすぎるよ」
そういえば、彼女は前に「自殺は淋しいからしちゃいけない」と言っていた。僕は“淋しい”より“悲しい”じゃないかと思ったのだが、彼女が言うには
「自分を殺すっていうのは、最終的には誰の為にもならないじゃない。別に誰かの為に生きることが素晴らしいとか言いたいんじゃなくて・・・自分で自分を殺しちゃったら、そりゃあ自分を苦しめる誰かから逃げることは出来るでしょうけど、それと同時に自分を認めてくれる人を否定するって事じゃない?どんなに散々な人生を送ってきたあんたにだって、それも全部ひっくるめて認めてくれる人はいるでしょうよ。愛なんてくさい言葉は遣いたくないけど、自分を殺すって事はそういう愛情も否定するって事なのよ。そんなのって、すごく悲しくて、淋しいことじゃない」
彼女のマシンガンから放たれた銃弾は、僕に息継ぎの暇も与えず飛び去っていった。
一度火がつくと炎になって灰になるまで収まらないのが彼女の性分なのだが、その時ばかりは午後の予鈴と移動教室に阻まれ強制終了させられた。
その後も「せめて支えてくれた周りの人たちに恩返ししてから逝くべき」とか「そもそもせっかく授かった命がもったいないとは思わないのかしら」などとだいぶぼやいていたが、放課後近くにはもうすっかりいつも通りの明朗快活な姿を取り戻しており、それを横目に僕もいつも通りによれた鞄を肩に提げるのだった。
と、そこまで思い出してやっとそれが今日の出来事だったと気づくこの脳みそは一体どんな原理で動いているのか、もとい正常に動作しているのか、疑問を感じずにはいられなかった。

ところで彼女の方はというと、これほど僕が黙っていたのだから今日の昼の分もまとめての集中砲火が降り注いでもよかったのだが、意外なことに彼女もまた僕と同様に黙ったままで俯いていた。
人通りは少ないとはいえ路上で一定の距離を置いたまま向かい合ってただただ立ち尽くす姿は、はたから見ればおかしな光景で、時間も過ぎてゆくだけだし何より恥ずかしかったので、僕らは帰り道の続きを歩き出した。
「帰ろう」と声をかけても彼女はだんまりを決め込んでいたので歩き出すのにもまた時間をかけてしまったが、そんなことより僕はこのぽっかりと空いてしまったこの隙間をどうやって埋めようかということで頭がいっぱいだった。
2,3歩後ろにはつま先を見ながら歩く女の子がいて、こんな風になった原因はなの僕だからいっそ一思いに謝ってしまおうかとも考えたが、理由もはっきりしないままに謝ってしまうのは自分自身の僅かばかりのプライドが許してくれなかった。

足音をBGMに、無言のまま歩くうちにとうとう彼女の家まで到着してしまった。
普段なら、笑ってない時間の方が少ない彼女が扉の向こうに消えるまで眺めてから、小さな達成感をかみ締めつつ帰宅するのだが、今日のこの状況でその達成感は味わえそうに無い。というよりこのまま今日が終わるのはすごく不愉快だった。
その気持ちは彼女も一緒だったのか、とれとも不思議な念波で伝わってしまったのか、気づかぬうちに声に出していたのかは定かではないが、彼女もまた公道のぎりぎり内側に突っ立っている僕と同様に、玄関の扉の一歩手前で立ち止まっていた。
未だに俯いたままの背中にかけるべき言葉が最後まで見つからなかった僕は結局それを言ってしまった。
「ごめん。」
理由はわからないけど謝っとけばなんとかなるだろ。などといった短絡的な考えで言ったつもりは全く無かった。
ただ、帰り道はいつものことでも、僕にとってその時間は何物にも変えがたい楽しい時間で、それはきっと、たぶん彼女にも同じことだろうから・・・・・それを僕の発言で潰してしまったのなら、謝るより他にすべきことが見当たらなかったからだった。
「それ、前にも聞いたよ」
小さな背中は小さな声で呟いた。
「謝るのはもういいから。  私がいること・・・忘れないで」

いつもより2時間以上遅い帰宅時間について母親からこっぴどく叱られた後、冷え切った飯をさっさと片付けてから部屋に戻り、制服のままベッドに寝転んだ。
それから、彼女の最後の言葉の意味を考えているうちに眠ってしまった。
言われた直後の、首筋の辺りがあったかくなるような不思議な感覚と、彼女の囁くような声の中で、僕はとても幸せな夢を見た。



続きを読む
kayuコメント(4)トラックバック(0)  
カテゴリ: いのち  きをく 

愛と平和、悪意と罪


私たちは、今日の平和な日常を、また、未来の平和を手に入れるために多くの争いを経験してきた。
個人レベルでの些細な争いから、国家・世界に及ぶ大きな争い。
しかし、それらの殆ど総てが自らの利益の為であり、その利益で手に入る平和の為である。
当然のことだが、ふたつの者がひとつの物を求めれば、得られる者と得られぬ者に分けられる。

争いは何も生まないというのは嘘である。
争いが治まった処には沢山のものが残る。
勝者のもとには地位や名誉、人や土地、道具などの求めていた利益が残るだろうし、逆に敗者のもとには、敗者という醜いレッテルと敗北という屈辱感。ややもすればそれすらも残らず、丸々過去の歴史となってしまうかも知れない。
どちらにせよ、多大な被害と犠牲が残ることは確実であるが。


さて、前置きはこの程度にして今日の本題に入ろう。

私たちが暮らしている社会は、あくまで相対的ではあるが平和だと言えるだろう。
しかしその目を少し離して見れば、世界では今なお、我々のごく近い地域ででも争いは絶えない。
それは土地だったり政権だったり金だったりを奪い合う争いなわけだが、やはりこれらも、“総ては平和の為に”であり“総てはみんなの為に”なわけだ。
人間は皆、争わずに社会を保つことは出来ないのだ。

ところが今、その争いは姿を変えつつある。
否、変わりつつあるのは、正確には争いのベクトルとでも言うべきか。

今まで私たちは、いわば隣人たちと、各々が各地で争ってきた。
しかし、これからは違う。
私たちは、世界中の人間たちは今、たった一人の者と戦っている。
戦っていかなくてはならないのだ。

戦いは当事者同士は戦っていることに気づかないこともある。
当人が熱くなっている場合や、全く勘違いしている為など、状況は様々だが、後者の場合は特に質が悪い。
戦いの始まりがわからないということは、戦いの状況にも気づけず、戦いの戦略も見誤る。

我々にとっては残念な事だが、彼は強い。
そして気づかぬうちに進んでいた戦況は、非情に悪い。
さらに言えば、私たちは仲間割れが酷い。
この強大な敵に立ち向かう明確な手段を見出せぬまま、しかし未だにその大半が勘違いをしながら時を過ごしている。
この世界の全人類が力をあわせても敵うかどうかわからない、彼とともに。

私には、彼の声を聞く術は無いから、彼がどう思っているのかはわからない。
彼が何を思っているのかも、どうしたいのかも。
彼がこれを、戦っていると認識しているのかどうかも。

私は、恐らく人間だ。
しかしながら、どうしても人間の味方にはなれない。
どう頑張っても、人間の非は見つかっても彼の非は見当たらないのだ。
どちらかの非を探し、それを理由に相手を否定することは間違っているのかも知れない。
だが戦いとは最後には必ずどちらかが勝ち、どちらかが負けるのだ。必ず。
いつか決着がつくとき、私は人類こそ敗者となるべきだと思う。





膿は、出されるべきなのだ。






続きを読む
kayuコメント(0)トラックバック(0)  
カテゴリ: いのち 

相手の存在を完全に消去できるピストルと弾丸があったなら、今の僕ならどう使うか決められないだろう。


『死が2人を分かつまで』

どんなに愛し合っていても、死ねば関係ないのだろうか?

それとも、死後の世界では、私はあなたの中の私とは別。無論、あなたと私の中のあなたも別。それは意識が創り出すもの。
肉体が滅び、精神だけがただ在るその世界では、あなたと私は誰に認められるともなく永久の繋がりを保てる。だから必要ないのか


しかしその精神世界の一部での私とは、一体どこの私なのか。
私は私を確認できない。なぜなら私は常に私であり、考えずとも私は私で意味が通るから。

しかし肉体の消滅後はどうだろうか。
私を証明してくれるのは、他でもない私という身体・物体だった。しかし今はない。
精神が世界をつくるこの場で、果たして私という存在を見つけることはできるだろうか。


あなたを認めてくれる人がいる。
あなたを愛してくれる人がいる。
あなたを嫌い、憎む人がいる。
あなたの回りには、沢山の人間がいる。
そして、その沢山の人の内に、或る種本当の姿の“私”がいる。


死ねば来世があるなんて甘ったれたことを言ってはいけない。
例えば、生まれ変わりがあることを前提と於いて考えるが、
生命にはその身体と、根源力となるの魂と、それらをあるべき道へ動かす心(上で言う意識のようなもの)があるとしよう。

死ぬと身体の活動が止まる。
すると魂は身体を離れ別の所へ行く。としよう。
では遺された心はどうなるか。


まず身体についての考察だが、これはあまり必要もなかろう。臓器移植や土葬・火葬問題は今回の議題に沿わない。

さて、魂の方だが彼らの行方を追うにあたって、彼ら魂の存在意義について少し考えてみよう。宗教色がですぎても宜しくないのであくまでも軽く。
私は葬儀等の作法は正直あまり知らない。訊く所に依ると、或る人が亡くなられてからは、初七日・四十九日という事をするそうで。
ふと思ったのだが、なぜこう何度にも分けて行うのだろうか?詳しく知らないのであまり下手な事言って誰かを傷つけかねないが、やはり告別式やら通夜やらと。
言い方は汚いがやっぱり周りの人は色々と大変だと思う。
愛しい人と少しでも長く!という思いには激しく同意できる。がしかし、宗教やら国籍やら気にしてない元自然崇拝派の日本人が何故すぐ自然に返してやらないのか。

思う事は沢山あるのだが、そろそろ字数限界で続きに書くenergyもほぼemptyなので、また次回。必要ならばですが。
続きを読む
kayuコメント(2)トラックバック(0)  
カテゴリ: こころ  いのち 

血を吐く程に叫んだら、僕の声は君に聞こえるだろうか



『この全世界で、たった一つだけ何でも叶えることができるとしたら、地球の為に一体何を願うでしょう?
温暖化の抑制?新エネルギーの誕生?絶滅危惧種の保護?

やっぱり、平和でしょうか。

みんなが幸せな、絶対的な平和を
やはり求めるのでしょうか。



正義や善といったものは不思議なもので、人やその生きる社会・宗教などでその姿を変えてしまいます。
だから何が一番良い願いなのか、なかなか決める事はできません。

そこでみんなは、多数決で決める事にしました。勿論、全員参加で後々不満の出ないように。

とんでもなく沢山のみんなが一票を投じる地球多数決は、多くの意見がぶつかり、各々で論議を交わし、難航するかと思われたみんなの希望の決定は・・・・思いの他すんなり決まりました。



多数決の結果、世界中のみんなは平和を得ました。

無益な戦争は無くなり、
環境汚染は止まって、
世界は幸せに包まれたのです。

みんなの願いが叶えられました。


こうして、地球上から人間が消え去ったのです。』






つい最近、どこかで読んだ、誰かの話です。
まあ趣旨というか方向性が同じだけで、本物をご存じの方からすれば
パクリもいいとこ。とんでもない駄文だ。
と言われても仕方ない出来です。すみません。

しっかし、どこで読んだのか思い出せず、一昨日からずっと悩んでます。
凄い衝撃を受けたにも関わらず、さっぱり元を思い出せません。
話を作ってくれた(教えてくれた)人に心からごめんなさい。誠に申し訳ないです。
そして、ありがとうございました。

また、もしこの話をご存じとあらば是非とも御一報ください。






上記の作品(もとい作文)は、うろ覚えの私が無い頭絞って私なりに童話風に書いたものですが、果たして話の要点は伝えられましたでしょうか?

“みんな”と聞いて、地球上の全人類60億人(もっと増えたかな?)だ
と、そう決め付けてしまい、“みんなの為”と謳いながらも結局は自分の事しか考えられない人間のエゴ

私はこの話を聞いたとき(見たときかな?)、何とも言えない生々しさと切なさ
そして言い表せない程の絶望感を感じました。



続きを読む
kayuコメント(2)トラックバック(0)  
カテゴリ: みち  いのち