Sincerely for...

このお話は事実を元にしたフィクションです。 期待は小さく、思い出は大きく。

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日記

 明けない夜はないし止まない雨もないし覚めない夢もないし来なかった梅雨も来た。
 たぶん自分もいつか死ぬ。
 どうでもいいことをどうでもいいやと無視することはできなくはないのかもしれないけど、無視した所でなんらかの結果は伴ってしまうので、あとはその、どうやら必ず来るらしい明日を好意的に期待するしか無いんだろう。
 そんなことって出来るんでしょうか。
 そんなことが出来るくらい毎日を一生懸命に生きればいいんじゃないでしょうか。
 毎日を真剣に生きればたぶん。
 真剣に生きる能力がほしいところでございます。

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mixiでやれ。


またはTwitterでやれ、あるいはチラシの裏がちょうど良いんじゃないっていう程度の話。


女の人には生理があるって知ったのは小学生の頃。たぶん授業で。
生理ってのは人に依るけど大変だと知ったのは中学生の頃。初めて彼女ができた時。
生理が来る度に自分が産む性なのだと自覚させられて思い悩む人がいると知ったのはわりと最近。解決策は未だ見えず。
ご飯を食べる度に自分が生き物なのだと自覚させられて思い悩む人がいると知ったのはいつからだったか。自分のことすら覚えちゃいない。


しってるか? いきてるんだよ?


いきてるんだよ。


ご飯たべて、






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早起きは三文の徳


 朝はやく起きて風呂の掃除をするとしゅうちゅうりょくが増すってきいた。
 外を見るとまだ日が出て間もなかったので風呂掃除をした。
 念入りにした。

 風呂掃除が終わって僕は、疲れてゲロを吐いた。
 たいして疲れてなかったが、ゲロを吐いていた。
 朝ご飯はまだだったので実際はなにもだしていないのだが、吐いている動きをしていた。

 辛かった。
 悲しかった。
 淋しかった。
 虚しかった。

 パソコンが壊れている。
 僕がお下がりで貰ったパソコンが壊れている。
 パソコンが壊れている状態が少し前から続いている。

 僕はパソコンに依存している。
 パソコンの能力に依存している。
 誰かの力に依存して生きている。
 一人では生きていない。



 一人では生きていない。
 一人では生きていられない。


 風呂は汚い。掃除は終わらない。ゲロは出ない。吐き気は治まらない。パソコンは直らない。人は死なない。日常は変わらない。

 死ぬ。死ぬ。死ぬ。



  僕  は 死ぬ。


死ぬ。は僕    


 死 僕ぬ  は 。


     僕は死ぬ。


 死ぬ僕は。   

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虚獨ーーコドクーー


 辛い。悲しい。苦しい。切ない。淋しい。……嬉しい。恋しい。

 期待、希望、予想、信頼、努力、依存、羨望、恋愛、尊敬、性愛、

 悲しいかなしい悲しい哀しいかなしい哀しい哀しい悲しいかなしい悲しい哀しいかなしいかなしい哀しい悲しい悲しいかなしい悲しい哀しいかなしい哀しい哀しい哀しい哀しい哀しい哀しい哀しい哀しい哀しい哀しい哀しい哀しいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしい










 愛も与えられないなら、
  僕は死ぬより他ない。




死にたい





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名案やで!


 昔っから言っていて、ずぅっと「やりたい!」と思っている事の一つに“失踪”がある。
 とはいえ別にそこまで大した事をしたいというわけではなかったりもする。例えばその一番してみたいと思っている失踪の内容の一つは“ケータイ・リセット”だ。こんな瑣末な事をしたり顔で言っているのもなかなか恥ずかしいものがあるが、いやいやこれが一番してみたい失踪の内容の一つなのだから仕方ない。

“ケータイ・リセット”はある日、突然に訪れる。
 差し向けるのは私で、差し向けられるのは携帯電話そのものだ。
 その日を境に携帯電話の記憶は総て消え去って初めの頃の「1」となり、更に携帯電話自身もその内と外の全てをして捨て去り「0」となる。しかしまだこれで完了ではない。これでは“リセット”がなされていない。“私”のアーキテクチャとして、新たな媒介としての携帯電話その姿を新たにその場に具現させて以て「1」となる。
“ケータイ・リセット”が発動し、上手く事が運ばれれば私自身はその時にようやく“一人”となる。ゆめゆめ謬ることなかれ。この時の私はあくまでも“一人”であって“独り”ではないという点は等閑に付すべきでない。

 ところで、失踪というものは行方をくらます事であり、他人との紐帯を屠り、こちらからは言うまでもなく相手方からも一切の連絡の無いようにするはずであるが、残念ながら、というべきか、さきにも述べたように私はさして失踪というそのものの正しい姿に拘ろうというつもりは、あまりない。
 或いは、自分からの無闇な接触さえもたなければそれで十分なものなのだと言えなくもない。
 また、関係の断絶にさしたる感慨は無くとも、その行為による影響は多分にあるだろう。つまり「相手を傷付けるかもしれない」という心配である。その点において心を痛められぬほど人の心は捨てていない。

 私には、“ケータイ・リセット”は出来ない。

 少なくともまだ、と先に入るにしても、これは確かな事実だ。そこで、ではどうするかということを考えてみる。
 意外にもこれは非常に簡単な事だった。


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何をそんなに怒ってるのって話ですが。





 僕が今お世話になっている下宿には晩御飯を食べるところがあって。僕は勝手に食堂と呼んでいる。といっても普通の家庭のリビング位の広さなんだけれど。
 そこではたいていラジオが入っていて、チャンネルはNHKだ。
 今日もいつものようにご飯を食べに降りて(ちなみに食堂は一階玄関横で僕の部屋は三階にある)、本日の晩餐カレーライスをよそっているとそのラジオからなんとも能天気な歌が流れた。能天気と切り捨てるのは失礼な話かもしれないが、よく言えばNHKらしい、明るく陽気なメロディーが子供の朗らかな可愛らしい声で歌われていた。
 席について福神漬を添えたあたりでふと気づいた。
「俺この子がなんて言ってるかわからん」
 その疑問にはラジオの方で答えてくれて、どうやらハイチの言葉で歌われているらしい。歌詞の内容は「子供にご飯をあげよう。元気な子供になるように」とかそんな感じの内容で。
 どうなんだろうか、と単純に思ってしまった。
 ワンクリック募金とか千羽鶴の話とか、応援するのはいいんだろうしそういう気持ちは持ってて悪いことはないのだろうけど、僕は正直そう言った行為にはっきり言って嘆息していた。
 たとえば自分の実家が地震に遭って大変なときにぬくぬくと平穏な日常を享受している見ず知らずの人間から「大変そうですね、でもがんばって」とか言われたり、よくわからない気の抜けた歌を毎日ラジオで流されたりしたら、たぶん僕なら耐えられない。
 苦しくて困っているのに、できないから困っているのにそんな無責任なことを言われたら。そしてその無責任な人たちはその行為で「自分は良いことをした」と本気で思いこんでいたら。
 僕は怒りで目眩がするだろう。
 では今の僕になにができるのか。なにもしていない僕よりはましではないのか。
 僕はそうは思わない。
 少なくとも、何もしていないのに「なにかしてあげたんだ」と“無自覚に”自分の善行を信頼する人より、自分にはなにもできないと自覚している人間の方がましだと思う。

 今の僕に何ができるのか。
 しかしなにもしていない今の僕は決してほめられた人間ではない。
 それも確かに自覚している。


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最近のTV番組の内容の進展についての考察と、その未来への予想と提示。


2000年代に入った頃からだったろうか、健康志向のTV番組が加熱し始めたのは。
これを食べれば血がサラサラになるだとか脂肪の燃焼を助けるのはこれだとか、放送された次の日にはそれらの商品が無くなるという社会現象まで巻き起こした。
僕はそもそもそれらのTV番組が提供する「健康志向」というものに疑問をいだいていた。というより、情報の多くが「なんか胡散臭い」と思えてしかたなかった。

それから流行ったのは雑学ブームだろう。
これはおそらく、たんに「健康に対する雑学」が「日常のいろいろなことに対する雑学」に姿を変えただけに思う。
雑学を知っていると話題が広がるとかいうのもブームになった要因にあるのかも知れない。

それの少しあと、ブームになったのは「脳科学」というジャンルである。
正直初めは期待した。脳というまだ未開の地に多くの人が目を向けるということ、なによりそれらをTVというメディアで知ることができるという期待があった。
しかし実際には違った。期待していたような科学的なものではなく「今の脳科学での分野ではそういうことになっています」というなんとも押し付けがましいものでしかない。

TVというものは多くの人が見る。子供から、老人まで。そういうことからきっと、小難しい理論やシステムを正確に述べるよりも、ちょっと押し付けがましいようなもののほうが、無理やり感があってもわかりやすいし受け入れられやすいのだろう。
そういうものの方が“ウケる”のかも知れない。

ところで最近は教育関連の番組をよく目にする。
そういうものを僕が選んで見ているといえなくも無いが、それにしても「天才を育てるには」とか「子供にはこれがいい」とか、そんなのが少し前にくらべ多くなってきているような気がする。

僕はここで2つ思いついたことがある。
ひとつは知識の流れであり、もうひとつは見る層の流れである。

知識の流れというのは「なにを見ているか」に注目してみるとわかりやすい。
健康番組はお笑い番組などの娯楽番組に比べ意識が「自分自身」強く向いている。自分は健康であるか、どうすれば健康になれるか、などと言った具合に。
次に現れた雑学ブームは今度は外を向いている。知っていることの優位性を感じていたのだ。
その後に現れた脳科学ブームであるがこれは自分自身の、さらに「脳」というかなり深いところにあるようだが、実際は「しらないものを知る」という点においては雑学とさして変わりはない。或いは「身体の次は心に」という目の向き方かも知れない。
そして教育関連の番組についてはその心の矯正、または成長と言ったものが幼少期の経験に由来するものであるから当然とも言える。また不況が騒がれる昨今に「良い部下になる(あるいはする)ためには」という教育なのかも知れない。

もう一方の見る層の流れというのはまさに読んで字の如くである。
健康か雑学への流れは先に述べたとおりであるが、健康志向の番組や雑学関係の番組で知識を得た人たちが「じゃあその知識はどう保管されているのか」「身体の健康はわかったが脳の健康はどうか」と疑問に思うのは自然な流れだ。
さらにその人たちが今度は子供を持つ。そうして今度は教育に興味を持つ、というのはごく当たり前の流れではないだろうか。

子供を持つ人間が教育に興味を持つというのは実に素晴らしいことに思うが、自分の子供の名前の未来を想像できない大人がはたしてそのこの将来について本当に考えることが出来るのだろうか。甚だ疑問である。
この疑問から、私は次に来るTVの流れは教養であると推測する。
ここに於いての教養とは、一般常識や広い知識のことではなく、一般人・社会人としてあるべき品位・人間性のことである。

僕はTVというメディアが好きだ。育ててもらったと言っても良いくらいに感謝し、期待もしている。
僕はそのTVに優れた教養人が教養とはなにかを語っている新番組を想像する。
そしてその番組を見て教養に興味を持ち、或いは教養を得る人たちを想像する。






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カテゴリ: こころ  むだ 

1/18雑記


ここ3日4日ほど、珍しくもブログ更新したい症にみまわれておりますkです。

しかし今日は体力の限界、怠いです。(だるいって漢字で書くと辛そうじゃなくただなまけてるだけみたいだよね←本当に怠けてるだけなのだが)

更新したいネタは出てくる
  ↓
メモする
  ↓
更新しないから溜まる
  ↓
メモした当時の気持ちが薄れて書けなくなる
  ↓
ふとした瞬間にスイッチが入って何故か書ける!←イマココ!!

湯水の如くとは言いますが、私は湯水に触れて居る時によく「これは!」と思い付きます。
不思議現象ですね。
水に触れてる時・濡れてる時だとしたらばあの時はどうなんでしょうか、アレの時とかアレの時とか・・・ゲフンゲフン、失礼、私には関係の無い話でしたな。


バイザウェイ、どうでもいいことかもしれないけど実は僕、ちょくちょく既掲載記事の書き換えをしたりなんかします。例えば昨日のみたいに。
つまりなにが言いたいかというと、過去記事もたまにみてね[はぁと]というわけです。
過去記事へのコメントも大歓迎です。

と、ここまで書いて或る衝撃の事実に直面せざるを得なくなったんだが、ここのブログって実質2人位しか閲覧して下さっている方居りませんのよね。
・・・意味、あったのか・・・?



・・・・・まあいっか。
御2人様の御コメントも楽しみにしておりますゆえ〜


わけわからない文がわけわからない内に終わります。
私も巣に帰ります。


(*´Å`)ノ


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カテゴリ: むだ 

あるいは全力で、


自分のことを、全力でさらけ出せれば良いのかも知れない。

悩みが無い生活なんて有り得ないし、そもそもそれはそれで問題だと思う。
それでも、悩みの過程なりなんなりを相談出来るような相手が居れば、少なくとも人生が楽にはなるのかな、と。
“楽に”というのは努力なしにとかそういうのではないけれど。

躓いて転んで、起こして欲しいけど倒れた姿がカッコわるいから助けも呼べなくて、気付けば身体は半分も泥濘に埋まってる。
そんなかんじ、ちょーカッコわるい。
そんで、けっこーツラい。




ひと月ほどの空白の後に、ひょっこりと顔をだしてはうっかりと落ち込んでみる


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カテゴリ: むだ 

メール


石橋を叩いて避ける
こんばんは、僕です。

あついのは苦手です。
まだ七夕が過ぎたばかりだというのに、
僕はもう溶けそうです。

っていうか部屋と廊下の温度が違いすぎる。
なんとかならないのかこのつくり。


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毒虫




天文部に憧れます。

それは天文部を知らないから出来るのです。

天文部が夜空として星を愛でる部ならば問題ないのですが

もし、学問としての星を見つめるものならば、

僕の天文部への興味は無くなるでしょう。

だから、僕は知らないままでいるのです。

知らないから、憧れていられるのです。



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カテゴリ: むだ 

るいとも

類はともを呼ぶ

っていうけれども、僕にはよくわからない。最近は。

昔は、自分が好きになる人はどこか自分に似てるんじゃないかって思ってた。

もっと昔は、自分と正反対だろうなんて考えてた。


でも最近は違う。


始めは、自分の事が嫌いだから、自分に似た趣味趣向の人間は好きになれないと思い込んでた。

だけど、時が経って振り返る立場になってみると、同じ物に感動して同じような思いを持ってたから惹かれあったんだと思いはじめた。


とは言っても、人は誰でも、自分以外は他人なわけで。
同じ人なんていないんだから、厳密には相手を好いていようが嫌っていようが自分とは別物なはずだ。

どことなく似てる気がするって相手でも、
ある所では同じように感動して、またある所では全く別々の感情を抱く事だってある。


じゃあ結局、僕は何なんだろう?何ものなんだろうって思ってしまう。

何とも言えない孤独感や孤立感を感じずには居られなくなってしまう。

やっぱり類はともを呼ぶなんて嘘っぱちなんじゃないかと自棄になってしまう。

淋しくて、淋しくて、淋しくて

どうしようもなく淋しくなってしまうんだ。

だからそんな時は仲間を探す。

似たような感覚に陥ってしまった人を探して、寄り固まって、淋しさを紛らわせようとする。

気付くと僕の周りはどこか何となく似たような人が集まっている。

そこで僕はこう思うんだ。


「ああ、類はともを呼んだなあ」




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夏が過ぎれば秋が来る。


ご無沙汰してました。kayuです。
約2週間ぶりの登場ですね。復活と言うより帰宅に近い心境です。

さて、不定期更新と言うのは不定期なれどしっかりと更新しているものを言うわけですが、はたしてここまで適当なこのBlogの更新率では「更新は不定期」などというのは言い訳以外の何ものでもないわけです。
まあ、それ以前にこんな貧相なBlogに言い訳をするほどの重要性があるのかは、甚だ以って疑問ではありますが。

ところで、どうして私がこんなにもどうでもいい話を異様に読みにくい形でここに書いているのかといいますと・・・はっきり言ってそこにたいして大きな理由などはありません。
そもそも此処に書いて置いてある他のものも、その時を過ぎれば僕にとってもどうでもいい事に思えてしまうと言うのはよくあることですし、読みにくいのは元々。私自身の性格がそうなんでしょう。それを変えようと試みてより一層読み難さが増してしまうというのもまたよくあることです。
(本音を言いますと、そろそろ更新しないといけないと思いつつもちっとも書くことが無いので取り敢えず「書く事が無い」と言うことを書こう。となった次第であります。)

逆に今まで更新しなかった理由と言うのも別段ありません。
まあ強いてあげるとすれば、面白い本があったとか他に興味をそそられるものが出来たとか逆に何をする余裕も無いとか突然Blog止めたくなったとか狙い澄ましたようなタイミングでコメントがあったからとかとかとか・・・
ま、どれも“理由”とするにはあまりに貧弱で不純ですね。
書く気が起こらなかった、と言うのが事実であり真実です。


ん?「事実であり真実」と言うことは、「事実だが真実でない」だとか「事実ではないが真実」ということはありうるのだろうか。
前者は想像しやすいが後者は難しい。
前者を考えると後者もありそうだが・・・

まぁ、この続きは次回、覚えていたら書きます。たぶん。



ではまた(*・・)/




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今、外では雷が酷いです。

雷って好きです。

神鳴はもっと好きかな。

感覚の問題ですが。


紫の閃光と

打ち寄せる轟音。

そのまま僕の全てを吹き飛ばしてくれ


なんて。


恐ろしくも美しい

彼は雨と共に現れ

雲の中に消えて行く

何の為に生まれ

何を伝えて去って行くのか

そこに意味はあるのか

意味など必要なのか

ただ

神鳴は美しいだけ。



個人的には

恐れ

というより

畏れ

の方がより近い気がするけど、

畏ろしい

なんて言葉はないみたい。


本当は、

こういう話をずっと

していたいんだけど、

僕にはそんな友達がいないので、

頭の中で自分と会話するより他に無いようです。


そういえば先日

ある人に

「自分はいつも

「訊かれれば答える」

と言ってるのに

周りの人からは

“よくわからない人”

と思われてるみたいだ」

と相談したら

『逆にそうやって

君は周りと距離を置いて居るんだよ』

と言われた。

その意味は未だにわからない。

でも、



正直そういう人が近くに

居なくて良かったかな

と思う。

たぶん僕は

その人にずっと頼ってしまうから。

僕にある問題の為、

話し相手には

かなりの無理を強いる事になるから。

忘れられるよりは

嫌われる方がマシだけど、

やっぱり好きな人に嫌われるのは嫌だから

だったら気まずくないくらいの

適当な関係でいた方がいいかな

って。

話しかけられたら返して、

話しかけるのは時々にして。


近付きすぎで

自分が怪我するのは仕方ないけど

相手に怪我させるのは嫌だ。



これは、

相手に壁を作っている

のか?



好きな人が居ないのは辛い

が、

本当に居ないのか?


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なんとなく、吐いてます。


とりあえず、色々と無視してください。




生きてる実感がもてません。
もうちょっと・・・本当にちょっとでいいから頑張らなきゃ。
ていうか本来死ぬほど頑張ってもアレなくらいなわけで。
死ぬほど頑張んなくちゃいけないんだ。うん。
スピードが、兎に角スピードが足りない。
理由がわかれば何でもどうにかなるってもんじゃない。
第一、いつでもなんでも理由がわかるってわけじゃない。
勢い。勢いが大事な気がする。
才能とか、環境とか、そういうんじゃないんです。
ただ単に努力が足りない。
わかってるんだったらやればいいんですよ。わかってます。
寒い。うーん・・・さむい。
他に何もいらない。いらない。
360度、三次元を有効に活用しないと。
空腹。この空腹を満たすものはあるのか。
満たすものを探せって言うことか。
楽しければいいとして、その楽しみを存分に味わうために楽しくないことも一生懸命にこなさなくてはならない。自由と不自由の関係にも似たそれが、またなんとも難しい。
・・・って、わかっているならやりなさいよ。
・・・・・わかってますよ。



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