面白くない本を読む、と言う作業は非常に苦痛です。
それが教科書や学術書などの所謂“タメになる本”というのであればそこには苦痛の先に大きな知識が待っているはずです。そしてその僅かな希望にかけて私は「つまらんつまらん」と言いながらも本を読むのです。
しかしそれが小説・創作の世界ではどうなのでしょうか?
身に着くものなどは殆どありません。創作物に求められるのは面白さと意欲です。
面白くないとは、創作物に求めるものがない、あるいは求めても返答がないということです。意欲は読後に現われるものです。面白くないとはっきりした時点でさらに意欲の増進効果を期待したところで結果は既にわかりきったものです。
生活の知恵じゃなく、テストに向うべき学力でもなく、面白さと意欲を与えるのが小説等創作物としての本なのです。
読者の裏をかく面白さ。見事に痒い所に手の届く面白さ。リズミカルにスピーディーに展開し畳み掛ける面白さ。綿密な設定とそれを見事に乗りこなし使いこなす面白さ。分かり易さの面白さ、分かり難さの面白さ。そしてやはりキャラクターの魅力という点での面白さ。
すべてが揃っていないと絶対面白くない、とは過言ですが(勿論上記に示したもの以外にも小説の面白さのエッセンスは沢山ありますし)、少なくとも上記の幾つかで足りない分を補い合う必要があります。
ストーリー展開の演出
キャラクターの個性的魅力
なにより書き手のセンスと知識と知恵これか非常に重要です。
センスは言葉選びだったり言葉遣いだったり台詞回しだったりもするのですが、このセンスは先天的才能でありどうにもならないというのが定論ですが、私はそうは思いません。
ここでいうセンス、そしてそのセンスが影響しているであろう小説の構成要素は後天的な事でどうとでもなるのです
それは、人間関係です。
台詞やキャラ自身の性格は作者及びその近辺の人間から多く影響されます。人間関係が薄弱で生きて来た作者の小説にはそれが明らかに足りない。面白い伏線の張り方やトリックは知識として、本を読めば身に着きます。
しかし登場人物自身やその人間関係は体感するというのがもっとも強く、わかりやすく身に着きます。そうするより他に無いとも言えるかも知れませんが。
ペラッペラの関係から面白いという感想は出ません。
「何かしたい!」と強く心動かされるような本は、いつも面白いものです。