人間が哲学をするのは、それは世界に向けての愛である。
自分に見えているすべてを理解し、自分自身を理解しようとする。
愛智。それが人間の持つ確かな本能なのだ。
しかし考えたことはないだろうか。多くの人間たちがどうしてこんな、何のためにもならないものを追い求めてきたのかと。
愛を持つことがよい。
真理を知ることがよい。
はたしてそうなのだろうか。だがそうするよりほかないのだ。愛すること、求めること、成長することこそが生きているということであり、生きてゆくということなのだから。
そうやって自分を追いつめて束縛するのをやめれば人間は簡単に死ぬ。
そして死ぬのは嫌だというのが生物としての本能だろう。ということになっているから、人間は哲学をする。
いいや、違う。と僕は仮定する。
死にたくないから哲学をするのではなくて、哲学をし続けるために死にたくないと活動し続ける思考構造を持って生まれてきたのではないだろうか、と。
持って生まれてきたとはどういうことか。それは与えられて生まれてきたとも言えるのではないか。
僕は言う、哲学は愛の行為だ。
僕は問う、哲学で何を得るのか。