「散歩学派」
 と、一言だけ書かれたメモ帳の1ページがふと目にとまる。
 そのメモは間違いなく僕がつけたものなのだが「散歩学派」というものが一体何なのか、とりあえず今日の僕にはわからない。いつどこからその言葉を、そもそもなんのために書き残しておいたのかさえ定かではない。
 ただひとつ言えることは「散歩学派」という言葉がなんとも響きのいい、メモせずには居られないような言葉だ、ということだ。

 最近はずいぶんと便利な世の中になったものだ。といっても僕は「最近」しか経験の無い未熟者なのだが。便利な世の中を当たり前だと思ってはいけない。文明の発達と道具の進化、なによりその開発者の方々への感謝の気持ちを忘れてはいけないのだ。
 そんな感謝の念を抱きつつ僕は蜘蛛の巣に問いを投げかけてみる。
 散歩学派とは、あの、アリストテレスがモノを考えるときに実践した方法から着ている呼び名だとか。散歩していると思考が活発になるらしい。
 システムエンジニアだとかソフトウエアエンジニアだとかプログラマだとかウェブデザイナに感謝の意を表しつつ、僕は静かに検索結果を閉じる。
 散歩学派がなんなのかはわかった。しかし問題は「だからなんなのだ」ということである。この言葉から何を見いだすのか、この言葉をどう生かすのか、それが問題だ。

 僕はそっと目を閉じる。そして想像してみる。静かな道路、美しい並木道、微笑ましい子どもたちの戯れ、爽やかな風、その中を歩く自分自身の姿を。目的地はない。ただ歩いているだけだ。これから思いつくべき名案こそが目的地であるとも言えるかも知れない。僕は歩く。ただ歩く。そして見つけるべきものを見つけるのだ。
 ふと、日差しの変化に気づく。「これはなんだろう」あたりを見回すまでもなく僕は自分の目の前に大きな壁が立ちはだかっていることに気づく。「こんなに近づくまで気づかなかったのか」僕は冷静な振りをしてみせるが。内心は穏やかではない。さっきまでの美しい景色はなく、あたりは閑散としている。壁は僕の目の前、まさに目の前に、冷徹な面持ちで立っている。壁は決して破られることはないし、飛び越えることも回りこむこともできない。僕にはそれがわかっていた。何故それがわかるのかはわからなかったが、それはどうでもいいことだった。
 振り向くと反対側にも大きな壁が、僕を睨んでいた。そびえ立つ壁はひどく冷たい。僕はたまらなく淋しくなって走りだしたい衝動にかられたどこでもいい、どこかへ行きたい、ここじゃない何処かへ行きたい。
 壁は長い長い道になっていた。
 どこまで走ったのか、振り返った方向に僕がさっきまでいたはずの場所はなかった。
 あるのはただ、高いだけの壁だった。
 そもそもこの長い長い道を遥かに辿ったところでどこへもいけないというのは一番最初の時点でわかっていたのだ。最初とはどの時点だろう。道ができたときか、道が壁だった時か、壁が現れた時か、もっと前のことか。そもそも僕はこの壁があらわれるということを知っていたのではないだろうか。しかしそんなことは今となっては全くどうでもいいことだ。今はもう壁ではない。行き止まりとなってしまったのだから。
 僕は突き当たりの壁から視線をずらすことができなくなっていた。
 問題は問題として認識されなければ成立しない。はじめからそこに無いものとしていれば悩む必要も無いのである。今ここにいる僕が銀河の果てで起こっている宇宙戦争について悩むことはないように、後ろを振り返ることをしなければ行き止まりはただの行き止まりなのだ。
 僕はゆっくりと後退りする。後ろが見えないから足元は不安定だが文句はいっていられない。僕はこの行き止まりが行き止まりのうちにここから出なくてはならないのだから。ここから出る? どうやって? どこへ出るっていうんだ? 自問の答えが出るより先に僕の体が後ろに大きく倒れこむ。
 怪我の心配はない。背中側の壁が僕を無感情に立たせたままにするからだ。
 正方形の床に僕は座り込む。ここは穴だ。僕は深い深い穴に落ちてしまったのだ。冷たい壁に囲われて僕は、いじけることしかできない。どうすればいい、どうやったらここを抜け出せる? ここを抜け出してどうする?
 はじめから答えなど出ないことのわかりきっている問いかけに僕は辟易して天を仰ぐ。「僕はどうすればいい?」空は冷たく無視をする。意思の無い空。無色の空。冷たい空が僕を見ている。
 四角い部屋に閉ざされた僕の意識はもうほとんど無くなりかけている。
 なにがあってなにが無いのかもわからない。はじめから無かったのかも知れない。もうどっちでもいい。少なくとも今の僕はなにも持っていないのだ。ポケットを叩いても埃しか出てこない。見えるのは壁壁壁壁壁。僕は壁は誰よりも持っているらしい。壁しか持っていないし、しかし壁は壁以外の意味はなさない。
 ここで僕は気づく。壁が5つで部屋になり、4つで穴になり、3つで行き止まりになり、2つで道になり1つでただの壁になる。
 では1つもなかったらどうなるのだろう?
 考えるだけ無駄なことだ。何故ならそこには「無い」という事実しかないのだから。
 いや違う、壁のない世界は確かに存在する。そこは広い荒野! ただ広い広い荒野なのだ! そしてその荒野すらない世界には無限の宇宙が広がっているのだ!

 僕は宇宙の海に漂っていた。美しい海。そこで絶大なる宇宙意思のもと絶大なる自由を手にいれたのだ!
 僕には自由がある。自由しかない。それは何も無いのとどう違うのだろうか。何も無いというのは問題ではない。何も無いということは問題自体が無いということだからだ。悩む必要も無いのだ。

 僕はひとしずく涙を流した。頬に跡を残してそれは消えた。