Sincerely for...

このお話は事実を元にしたフィクションです。 期待は小さく、思い出は大きく。

タグ:舞城王太郎

読んだ。




 嘘ですまだ読んでる途中です舞城王太郎の『みんな元気。』。

 とりあえず第一編『みんな元気。』は読んだ。
 薄っぺらくいえば、並行世界で可能性で選択可能で交換可能なんだから物語内での時間軸だって一筋である必要はないでしょ。だけどそもそも選択可能な選択肢なんていくらでもどうにでもなるよね。
 そんな感じ。

 読みながらぼんやり思ったのは国籍の話。
 家族は選べないし選ぶもんでもないだろう。たぶん。
 それってなんか国籍と似てない? 生まれるときに「おれ、こっちがいいっす」とか言って選ぶわけにはいかない割に、上手いことやると「日本代表!」とかいって持ち上げられるし周りの人間も何の疑いもなくただ国籍が一緒なだけの手の温度も知らない赤の他人をあっさり心から応援したりする。それでいてそいつが悪さしたらく「国の恥」なわけだ。
 一緒です。自分じゃ選べないです。
 でも、それを「選んじゃ駄目」っていうのはどうなんだろう。ホントにそうなの? そうかもね。いや、そうなんだと思うよ。
 ただ知っているべき。いろんな物を、事を。

 よく分からないです。
 何がよく分からないって、僕はSF畑の人間じゃないからこれを「並行世界モノ」と呼んでいいのかどうかも分からないし、法律に関しては土下座しながらビール飲めっていうくらいの無知だし、文芸も文学も知らないし、そもそも舞城王太郎の著書だって半分も読んでないから、もう「なにも知らない」って言ってもいいんじゃないかっていうくらいによく分かってない。(そして恥ずかしい告白をするとラストの父ちゃんは一体なんだったのかさっぱり分かっていない)
 この辺はたぶん舞城王太郎の評論とかをもっと読めばいろいろと分かってくるんだろうけど、正直そんな気分じゃない。読了後の余韻に浸りたいとかそういうんじゃなくて単純に疲れているからです。
 こういうのの解釈とか、そんな大層なもんじゃなくても読書感想でもいいからいろんな意見を聞きたい! そういう友達が欲しい! でもまわりに居ないんだよなぁ、舞城ファンの友人……って書こうと思ったがそもそも俺に友達なんかいたっけ? という反証不可能な命題が浮上するが疲れているので華麗にスルー。そしてこのエントリも華麗にスルー。スルー・ザ・ルッキング・グラス。

 ……こういうこと書いて「オレちょっと舞城っぽくね?」とかニヤニヤ他人の目を気にしながら自慰行為に耽るガキは嫌いです。



 以上、華麗なるコピペ日記でした。

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カテゴリ: じぶん 

愛と愛と愛の愛の話。






 セドリックが私に言う。このままではいけないと。

 私はセドリックに言う。夢はここに確かにあると。





 目の前の石がどうして石と呼ばれているのか不思議なのだと彼女は言う。いつも僕に見せてくれる温かさを持った笑顔で彼女は言う。

 空に浮かぶ雲がどうして雲と呼ばれているのかについて僕たちは考える。幸せという形のないものを噛み締めながら僕たちは考える。

 僕を乗せて走る地球が球であることの不思議と感傷的な孤独感に気づく。僕を包む空に終わりがないという絶望的な全能感に震える。

 僕は球の外側にいる。 僕は球の内側にいる。
 君は球の外側にいる。 君は球の内側にいる。

 世界は常に僕の外の何処かに在って、僕は常に世界の中の何処かに居る。





 私にセドリックが円を書く。僕は君の外にいると嘆く。

 私はセドリックの円を指す。円の外は中になると叫ぶ。





 彼女を抱きしめるとそこには愛があった。
 愛は彼女の匂いがした。彼女は愛の匂いがした。

 抱きしめられた彼女は愛を受け取った。
 愛は彼女の匂いではないと言った。彼女は愛ではないと言った。

 確かなことは、愛が今そこにあるということ。
 確かなことは、彼女が愛ではないということ。

 愛こそが全てだ。 しかし部分に過ぎない。
 全ては愛なのだ。 だが部分が総体を作る。

 一瞬の間に百億の愛がそこら中に生まれ、百億の愛が初めからそこら中に在った。





 私を見ているセドリックを私は見ている姿がここにある。

 だから私とセドリックはここにいる。

 それはつまり私とセドリックの愛がここにあるということ。

 私たちは愛を生み愛を抱き愛に包まれ愛によって愛となり愛になる。





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カテゴリ: おはなし  こころ